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祈り [祈り]

一人になれる所、心に深く思いを巡らす事が出来るところ、

ひざまずける所、主に声を出してはなしかけられる所に行きなさい。

寝室、浴室そのほかどんな狭い所でもよい。

そしてあなたの心の目に天父の姿を映し出してみる。

自分がだれに話しかけているかを考え、思いをコントロールしなさい。

あれこれ考えずに天父を自分の父親や友達のように思って話しかけなさい。

それから自分が本当に話しかけたいと思うことを話す。

意味のない決まり文句は使わずに心をこめて真剣に話かけるのである。

天父を信頼し、赦しを求め、心の願いを打ち明け、共に喜び感謝し、あなたの愛を語りなさい。

そうした上で天父の答えに耳を傾けるのである。

答えに耳を傾けるのは祈りに不可欠である。

主からの答えは静かに本当にやってくる。

実際に自分の耳でそれを聞く人はほとんどいない。

よほど注意して耳を傾けないと、それを識別する事は決してできない。

答えのほとんどは私たちの心の中で暖かな安らかな気持ちとなって表れるか、

または何か特別な思いが湧いてくるかどちらかである。

いずれにしても答えは忍耐強く待った人に、そして準備できた人に与えられるのである。

H.パーク・ピーターソン  「逆境と祈り」



10課 私のくびきを負うて・・・ 2 [新約聖書 イエス・キリスト]

イエス、パリサイ人シモンの家で罪の女を赦された ルカ7:36-50

シモンの家に罪の女が来てイエスの足を涙でぬらし、自分の髪の毛でそれを拭き香油をイエスの足に塗った。
シモンはそれを見て主がどうするかうかがった。
主は例えを用いてシモンと女を比べられた。
女は自分の罪を悔い主を愛し、謙遜になってイエスの尊敬の念を示した。
シモンは主を試し、高慢で無礼で批判的な態度を示した。

「それであなた方に言うが、この女は多く愛したから、その多くの罪は赦されれているのである。
少しだけ赦された者は、少しだけしか愛さない。」ルカ7:47


10課 わたしのくびきを負うてわたしに学びなさい [新約聖書 イエス・キリスト]

マタイ11:28-30 12:1-13
ルカ7:36-50 13:10-17

わたしのくびきを負いなさい マタイ11:28-30
重荷を負うて苦労するとは・・・
試練などにあい苦しんでいる人、心が苦しんでいる人、罪により苦しんでいる人など

主はどのようにしてこれらの重荷から休ませてくださるのでしょうか?私たちが負う主のくびきとは、

主の御心を謙遜に実行し、生活の中で主の導きと支持を受ける事

私のくびきは負いやすく荷は軽いとは、
主に従い、仕える時に主が助け励まして下さりその道を備えてくださる。


安息日の主 マタイ12:1-13

イエスの弟子たちが安息日に穂を摘んでいるのを見てパリサイ人は「安息日にしてはいけない事をした」と非難した。
パリサイ人がモーセの律法を解釈するに当って安息日の正しい精神と目的を無視して活動を制限する伝統のみに目を向けていたのに対し、主は宗教的な儀式を執行する事だけでなく、人を愛する事にもっと注意を向けるよう言われた。

私が好むのは憐れみであって生贄ではない。

安息日の活動に関する指針としてこの原則をよく心に止めましょう!




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