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10課 私のくびきを負うて・・・ 2 [新約聖書 イエス・キリスト]

イエス、パリサイ人シモンの家で罪の女を赦された ルカ7:36-50

シモンの家に罪の女が来てイエスの足を涙でぬらし、自分の髪の毛でそれを拭き香油をイエスの足に塗った。
シモンはそれを見て主がどうするかうかがった。
主は例えを用いてシモンと女を比べられた。
女は自分の罪を悔い主を愛し、謙遜になってイエスの尊敬の念を示した。
シモンは主を試し、高慢で無礼で批判的な態度を示した。

「それであなた方に言うが、この女は多く愛したから、その多くの罪は赦されれているのである。
少しだけ赦された者は、少しだけしか愛さない。」ルカ7:47


10課 わたしのくびきを負うてわたしに学びなさい [新約聖書 イエス・キリスト]

マタイ11:28-30 12:1-13
ルカ7:36-50 13:10-17

わたしのくびきを負いなさい マタイ11:28-30
重荷を負うて苦労するとは・・・
試練などにあい苦しんでいる人、心が苦しんでいる人、罪により苦しんでいる人など

主はどのようにしてこれらの重荷から休ませてくださるのでしょうか?私たちが負う主のくびきとは、

主の御心を謙遜に実行し、生活の中で主の導きと支持を受ける事

私のくびきは負いやすく荷は軽いとは、
主に従い、仕える時に主が助け励まして下さりその道を備えてくださる。


安息日の主 マタイ12:1-13

イエスの弟子たちが安息日に穂を摘んでいるのを見てパリサイ人は「安息日にしてはいけない事をした」と非難した。
パリサイ人がモーセの律法を解釈するに当って安息日の正しい精神と目的を無視して活動を制限する伝統のみに目を向けていたのに対し、主は宗教的な儀式を執行する事だけでなく、人を愛する事にもっと注意を向けるよう言われた。

私が好むのは憐れみであって生贄ではない。

安息日の活動に関する指針としてこの原則をよく心に止めましょう!




8課 山上の垂訓 [新約聖書 イエス・キリスト]

マタイ5章

1、至福の教え マタイ5:1-12、3NE12:3-10

至福・・・ラテン語で幸福、幸運、祝福されたという意味の語に由来している

心の貧しい人(3節)・・・謙遜な人
悲しんでいる人(4節)・・・自分の罪を悔い改めている人
義に飢え渇いている人(6節)・・・聖霊に満たされる

[かわいい]あなたにとって特に役に立つと思う教えは何でしょうか?


2、弟子たちは「世の光」であり「地の塩」であると宣言される マタイ5:13-16

世の光・・・弟子たちは至福の教えを行う事により、世に光を照らす。
でも、光はその人の中には入って行かない
地の塩・・・塩は料理の味をつけたり保存料になる。
地の塩になる事により人々の中に入り助け導く事ができる

[かわいい]私たちも主の弟子として世の光(福音の実践)となり、人々の救い手(伝道、神殿活動など)となる必要があります

3、イエス、モーセの律法より高い教えを授けられる マタイ5:17-48

イエスはモーセの律法を成就するために来られた。私たちの罪の贖いを成し遂げた時にモーセの律法は成就した。
そしてこれからは、「打ち砕かれた心」と「悔いる精神」を犠牲として捧げるように命じられた(3NE9:20)

殺人を犯してはならない→怒ってはならない
姦淫するな→情欲を抱いてはならない
偽りを言うな誓った事は主に対して果たせ→誓ってはならない、約束をまもれ
目には目を→ほかの頬をむけてやりなさい
となり人を愛し敵を憎め→敵を愛し迫害する者のために祈れ

そして主は「完全な者になりなさい」と言われた。(48節)
この戒めを励みに毎日を主に仕えて生活しましょう。

ジョセフ・フィールディング・スミス代管長


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